男がピアノは恥ずかしい?共感の多かったジェンダーバイアスの壁

Twitter/Xで以下の投稿をしたところ、1万件以上のいいねがつき、引用リポストは500件を超えました。

最初にお伝えしておきますが、わたし自身がピアノとジェンダーバイアスの関係について否定的な感情はありません。

男性がピアノを弾くことに違和感を持つ人もいれば、持たない人もいるし、むしろ肯定的な人もいます。考え方は個人の自由です。その是非を議論する必要はないと思います。

その前提で、今回の記事では特に「男だからという理由で、ピアノを弾く(習う)ことをからかわれるのが辛くてピアノを辞めた」という声に焦点を当ててみたいと思います。

目次

幼少期に経験したトラウマの共有と共感

自分もからかわれるのが嫌でピアノを辞めた」という男性のコメントが非常に多く寄せられました。ピアノだけでなく、エレクトーンやフルートなどの楽器も挙げられていました。

これは、匿名性の高いTwitter/X上だからこそ、誰にも言えなかった幼少期のトラウマ体験が顕在化し、それを他人と共有したいと思う一部の人々が表出したのかもしれません。

実際、わたしも小学生の頃にピアノを習っていたのですが、当時のピアノ教室は自分以外は女の子ばかり。地域性の問題もあるかもしれませんが、男がピアノを弾くことに対するジェンダーステレオタイプが根強く、クラスメイトからかわれる経験もしました。

今でこそ、そんなしょうもないこと気にしなくて良いと理解できるのですが、子どもの頃はそんな状況を受け流す処世術もなく、苦痛を感じていました。

特にわたしの場合、ピアノは習わされているものという感覚が強く、そもそも楽しくありませんでした。そのため、小学生のうちにスパッと辞めました。

「自分と同じような経験で辞めた人が多いのか」という内容も散見されました。もしかすると、彼らが自身の辛いストーリーを他の人と共有して、孤独感や苦しみを軽減する助けとなっていたなら幸いです。

社会的圧力に対する子供と大人の違い

この話題になると、決まって「ベートーヴェンやショパンは男だ」「性別と楽器は関係ない」という擁護の声が上がります。そりゃそうなんだけど、それはあくまでも大人視点の気休めと感じます。

子どもと大人の視野の広さは違います。大人の目線では、「性別は関係ない」などの一般論を唱えるかもしれませんが、子どもは日常生活でのからかいに対して非常に敏感です。彼らにとっては、その圧力が耐え難い苦痛だったりします。

大人にとっての会社や家庭のように、幼少期の友人関係は社会的圧力が強いんじゃないでしょうか。育つ環境によってからかいの頻度や深刻さ、受け止め方は変わりますが、こういった経験は自尊心やアイデンティティ形成に影響を及ぼすと思います。

「周りのからかいに屈しない強い心を持つ人間が結局上手くなる」といったコメントも多かったですが、これは結果論のような気がします。

「辞めずに続けていれば人生が変わっていたかもしれない」という意見もありました。確かに、辞めずに続けることで自己成長や成功につながる可能性はあるかもしれません。

ただ、状況や環境によっては、辞めることが最善の選択であったり、他の可能性を追求することが良い結果を生むこともあると思います。これは人生が進めばどうにでも意味付けできるので、一概になにが正解とは言いにくいです。

時代と共に変わるジェンダーバイアス

冒頭でも触れましたが、ジェンダーバイアスに対する見解は人それぞれであり、個人の考え方によって好意的または否定的な評価があるので、その是非を議論する必要はないと思います。

ただ、自分の親や身近な人たちがそのようなバイアスを持っていることで、子どもがピアノや他の楽器を習得することが制限されるのは、非常にやるせないです。バイアスを持ってしまうのは仕方ないけど、他人に押しつけるのは違う。

最近では世界的に日本人男性ピアニストが注目を集めており、男性のピアノ系Youtuberもメディアでよく見かけます。時代がすすめば、楽器とジェンダーの結びつけ方の傾向も変化していくんじゃないでしょうか。

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